佐賀地方裁判所 昭和60年(わ)3号 判決 1985年9月24日
主文
被告人を懲役一〇年に処する。未決勾留日数中一八〇日を右刑に算入する。
押収してある改造けん銃(コルト)一丁(昭和六〇年押第三五号の19)、けん銃(二銃身、デリンジャー型)一丁(同押号の2)、パイプ銃二丁(同押号の20ないし30の部品のうち、20.23.25.26.27.29.を組み立てたもの一丁と21.22.24.26.28.30を組み立てたもの一丁)、実包二発(同押号の3)、猟銃用実包(赤色円筒)七発(同押号の31)、同(緑色円筒)一発(同押号の32)、弾(猟銃実包)二発(同押号の34)及び金属製手錠二組(同押号の4)をいずれも没収する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(被告人の身上経歴、本件犯行に至る経緯等)
被告人は、父石橋作一、母キミの長男として生れ、昭和三六年三月福岡市内の中学校を卒業し、同年四月同市内の私立高校に入学したものの間もなく同校を中退し、その後船員、パチンコ店々員など転職を重ね、昭和五五年三月ころから金融業を営むようになり、そのかたわら昭和五八年七月ころ、佐賀県佐賀市在住の井崎勇一の代理人として同市松原に本店を置く株式会社佐賀相互銀行と右井崎の同銀行に対する預金返還について交渉にあたつていた福岡県弁護士会所属弁護士小野権友から右井崎のための証人探しなどを依頼されてこれを引受け、同弁護士事務所事務長の肩書で同弁護士の事務を手伝うようになつた。被告人は昭和五九年五月ころ右井崎のための証人を探し出して同弁護士に報告し、同弁護士が同銀行本店に赴いて同銀行の取締役本店営業部長井手音之助と井崎に有利な証人が存在することなどの事実を挙げて右預金返還交渉にのぞんだが成功しなかつたため、同弁護士の依頼を受けて同銀行本店に赴いて同本店営業部長井手と話し合つたものの成果を何らあげることもできずに引上げた。その後、同市内の暴力団宮地組の幹部と称する者から小野弁護士に電話で宮地組は同銀行と近しくしているが同弁護士が同銀行に素行不良者を指し向けるようなことをすると同組員もこれに対応して行動を起す旨、同弁護士の前記同銀行との預金返還交渉を妨害する脅迫的連絡があり、これを知つた被告人は同年六月二日右翼団体日本皇民党員らの乗車するいわゆる街宣車を伴つて同銀行本店に赴き、同本店において前記本店営業部長井手に対し同銀行が暴力団宮地組を使つて小野弁護士の同銀行との前記預金返還交渉を妨害したとしてこれを非難し、同銀行の社長武田誠之に面会をさせるよう強く要求したが果さず、右皇民党員らの乗車した街宣車とともに引上げた。その直後、これを知つた宮地組関係者らは、同組関係者の経営する会社と金融取引関係にある同銀行に右翼が押しかけ、宮地組を非難したとみてこれに憤激し、直ちに右街宣車の後を追つてこれにけん銃で発砲したが取り逃がし、この背後には小野弁護士がいると思い込み、同弁護士をら致監禁しようと企て、同日夜福岡市内の同弁護士方前において同弁護士を無理矢理自動車に乗車させて同所から佐賀県内の山中に連行し、同弁護士を鉄格子付コンクリート製檻内に閉じ込めるなどして監禁した。同弁護士は間もなく解放されたが、被告人は右事態の発生に深く関与していたため責任を感じて同弁護士事務所を退職するに至り、また、被告人自身も宮地組関係者らにその生命さえ狙われているものと思い悩み自宅に帰ることもできず、身の安全をはかるためホテルに泊るなどしていたため自己の金融業も営業不能の状態に至り、かくして被告人は、被告人をかかる窮状に追い込んだ宮地組関係者らやこれと関係すると考えた同銀行に対し深い恨みを抱くようになつた。
被告人は、前記の経緯から同銀行を恨み、自己の営む金融業の営業資金を同銀行から獲得しようと考え、同銀行代表取締役社長武田誠之を略取し、その身柄と引換えに同銀行から現金三億円のみのしろ金を取得しようと企て、同年一〇月ころ犯行に使用するパイプ銃等を準備したうえ、被告人方に同居していた友人山崎正敏及び野村一夫こと稲澤正男に右犯行計画を打ち明けて同人らから右犯行計画に加担する旨の承諾を得、同人らとともに福岡県久留米市大善寺町所在の右武田誠之方居宅付近及び同人専用車による同人の通勤経路等の下見を数回実施して犯行計画の打合せをした。
被告人らは、同年一二月一一日右犯行計画を実行するため前記武田誠之方付近に赴き、通勤途上の同人専用車に稲澤が原動機付自転車を衝突させるなどしたが、警察官が事故調査に来るおそれもあつて計画実行を中止し、それを機に犯行計画から稲澤が抜けたため、被告人は、前記山崎と打合せ、前記失敗の経験から二台の車を使い社長専用車を前後にはさみつける方法で武田誠之を略取することとし、被告人と親しい田中壽美に右犯行計画実行に加担させることにした。
同月一四日、被告人は福岡市中央区大名一丁目一―一二所在の株式会社ジャパレン福岡営業所で田中壽美にレンタカー一台を借り受けさせ、そのころから翌一五日にかけて走行中の自動車内で言葉巧みに同女及び同女の長男田中順に右犯行計画の概略を打ち明けて協力方を求め、右両名は当初はさして重大事件とも思わず被告人の右犯行計画に加担することを了承して被告人と行動をともにするうち、遂に被告人から武田を略取して同銀行からみのしろ金を取る旨打ち明けられ、日頃被告人から世話になっていたこともあつて、ことわることもできず右犯行に加担することとし、かようにして被告人は前記山崎正敏、田中壽美及び田中順と前記犯行の共謀を遂げ、同月一五日右三名とともに本件犯行現場に赴いて現場の下見をし、田中壽美、田中順に対しては右犯行の役割分担を具体的に指示し、同月一七日本件犯行を実行することとした。
(罪となるべき事実)
被告人は
第一 山崎正敏、田中壽美及び田中順(当時少年)と共謀のうえ
一 佐賀県佐賀市松原四丁目二番一二号所在株式会社佐賀相互銀行の代表取締役社長である武田誠之(当時六五年)を略取して同人の安否を憂慮する同銀行幹部らからみのしろ金を交付させようと企て、昭和五九年一二月一七日午前八時四五分ころ、福岡県久留米市大善寺町藤吉一一三番地八池田孝市方東方約一二〇メートル先路上において、同所を同町宮本方面から同町黒田方面に向け走行中の同銀行運転手田尻正治(当時四九年)が運転し右武田が同乗する普通乗用自動車(セドリック、佐三三さ三七九三)を、前記山崎正敏が運転し前記田中順が同乗する普通乗用自動車(アスカ、泉五五わ一六七八)で追い越したうえその前方で急停車し、右田尻運転の自動車の進路を塞いで停車を余儀なくさせ、さらにその後方に近接して前記田中壽美が運転し被告人が同乗する普通乗用自動車(コロナマークⅡ、福岡五九ち二三七三)を停車させてその退路を塞ぎ、前記田中順がパイプ銃(昭和六〇年押第三五号の20ないし30の部品のうち20.23.25.26.27.29を組み立てたものと21.22.24.26.28.30を組み立てたもののうちの一丁)を擬し、被告人が右田尻運転の自動車の後部座席において同所に乗車中の武田に対し、無理矢理その後手に両手錠(同押号の4のうちの一組)をかけて緊縛するとともに、その頭から布製袋(同押号5又は6)をかぶせて目隠しをした後、同車運転席に右山崎正敏、助手席に右田中順がそれぞれ乗車してその場から発進させ、もつて、右武田の安否を憂慮する前記銀行幹部らからみのしろ金を交付させる目的で右武田を略取し、引き続き、同人を同県三養基郡北茂安町大字白壁字白石四三九二番地三ホテル「松園」特一号室に連れ込み、同日午前一〇時四〇分ころから午後五時二〇分ころまでの間、一一回にわたり、同室から前記所在の佐賀相互銀行本店及び同県佐賀市駅前中央一丁目一〇番三六号所在の株式会社佐賀東急インに自動車用電話(同押号の18)を使つて架電し、前記略取などにより畏怖している右武田を介して、前記株式会社佐賀相互銀行代表取締役専務志賀志朗らに対し、「現金三億円を準備してくれ。事情は後で話す。居場所は言えない。」、「金の用意はできたか。」、「金は佐賀の東急インのロビーに持つてきてくれ。」、「金は鳥栖競馬場北側の喫茶店ダービーに持つてきてくれ。」などと告げ、もつて、右武田の安否を憂慮する右志賀らの憂慮に乗じてみのしろ金を要求する行為をし
二 同日午前八時四五分ころ、前記池田孝市方東方約一二〇メートル先路上に停車中の前記普通乗用自動車(セドリック、佐三三さ三七九三)内において、前記一のとおり、前記武田に対し後手に両手錠をかけて同人を逮捕し、その際、その犯行の発覚を妨げるため、同車の運転手である前記田尻正治をも逮捕して監禁しようと企て、そのころ、その場において、右田尻に対し無理矢理後手に両手錠(同押号の4のうちの残りの一組)をかけて同人を逮捕し、直ちに右武田及び田尻の頭からそれぞれ布製袋(同押号の5.6)をかぶせて目隠しをし、右両名を同車の後部座席に閉じ込めて同車を発進走行させ、同日午前九時三〇分ころ、前記ホテル「松園」に至り、右両名を同ホテル特一号室に連れ込み、被告人らにおいて監視するなどして同所からの脱出を不能にしたうえ、同日午後六時三〇分ころ、目隠しをし両手錠をかけた右武田及び田尻を被告人運転の前記普通乗用自動車(コロナマークⅡ、福岡五九ち二三七三)の後部座席に押し込んで、同所から同車を発進走行させ、同日午後八時四分ころ、熊本県山鹿市大字南島川田一三四九番地一ホテル「セリーヌ」に至り、右両名を同ホテル一六号室に連れ込み、同所で、被告人において右両名にけん銃(二銃身、デリンジャー型、同押号の2)を示すなどして監視を続けて同所からの脱出を不能にし、さらに、同日午後一〇時五六分ころ、再び右両名に目隠しをし両手錠をかけて被告人運転の前記普通乗用自動車後部座席に押し込んで発進走行させ、同県鹿本郡北町大字岩野字男岳二三七六番地信国伸平方北東約七〇〇メートルの林道を経て、翌一八日午前六時ころ、福岡市中央区天神二丁目三番一〇号天神パインクレスト前に至り、右両名を同所六二四号室に連行した後、同所で、被告人らにおいて前記けん銃をちらつかせるなどして右両名の監視を続け、同日午後七時四四分ころまでの間、右武田及び田尻の脱出を不能ならしめ、もつて、右両名を不法に逮捕監禁し、その際、右武田に対し、両手錠をかけたことなどにより、加療約五日間を要する右手首関節部打撲及び擦過傷の傷害を負わせ(昭和六〇年一月九日付起訴、同年(わ)第一号)
第二 法定の除外事由がないのに
一 同月一七日午前八時四五分ころ、前記池田孝市方東方約一二〇メートル先路上において、改造けん銃(コルト)一丁(同押号の19)及び猟銃用実包を発射する機能を有するパイプ銃(装薬銃砲)一丁(同押号の20ないし30の部分のうち、20.23.25.26.27.29を組み立てたものと21222426.28.30を組み立てたもののうちの一丁)を所持し
二 右第二の一記載の日時場所において、火薬類である猟銃用実包(赤色円筒)七発(同押号の31)、同(緑色円筒)一発(同押号の32)及び弾(猟銃実包)一発(同押号の34のうちの一発)を所持し(同年二月一八日付起訴、同年(わ)第四一号の第一)
第三 前記山崎及び田中順と共謀のうえ、法定の除外事由がないのに
一 前記第二の一記載の日時場所において、けん銃(二銃身、デリンジャー型)一丁(同押号の2)及び猟銃用実包を発射する機能を有するパイプ銃(装薬銃砲)一丁(第二の一記載の残りの一丁)を所持し
二 右第二の一記載の日時場所において、火薬類である実包二発(同押号の3)及び弾(猟銃実包)一発(同押号の34のうちの一発)を所持し(同日付起訴、同号の第二)たものである。
(証拠の標目)<省略>
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、被告人は株式会社佐賀相互銀行幹部らから同銀行代表取締役社長武田誠之のみのしろ金を交付させる目的で同人を略取したことはなく、また、同人の安否を憂慮する同幹部らに対しその憂慮に乗じて武田誠之のみのしろ金を要求したこともなく、被告人は同銀行幹部らに対し融資を依頼したに過ぎない旨主張し、被告人も当公判廷においてこれに沿う供述をしているので検討するに、被告人は、前記「本件犯行に至る経緯」に認定したとおりの経緯のもとに判示第一の犯行に及んだものであるが、前掲関係各証拠によると、なるほど、被告人は本件犯行が敢行されているさ中、武田と同銀行から三億円の融資を受けるが如き話し合いをしていたことが認められるけれども、武田は当時極度の身の危険にさらされた状況下にあつたものであつて、かかる状況下の交渉を正常な融資の交渉とみることができないのはいうに及ばず、当時被告人には融資を受けるに必要な確たる担保物件もなく、金融業を営む被告人自身三億円もの大金を現金で、しかも確たる担保もないのに融資する金融機関などあるはずのないことを十分知つていたこと、被告人は、当初から現金三億円を受け取つた後にはじめて略取した右武田の身柄を解放しようと考えていたこと、被告人は前記ホテル「松園」特一号室において、右武田に対し単に「三億円を貸せ」と話を持ち出しただけで担保権設定などを条件とする具体的な融資の話はせず、現金持参場所に指定した前記佐賀東急インの周辺に警察官が多数出動していることを知り、現金三億円の受け取りが困難になつたことを知つて武田をホテル「松園」から前記ホテル「セリーヌ」一六号室に移し、同所において、はじめて同人に対し前記のとおり融資の話を持ち出し、その後翌一八日に至つても同人を介して同銀行と交渉を続けたが、右交渉は現金三億円の交付を受けることに失敗した被告人が右犯行の刑責を免れるため、右現金交付要求を融資交渉の形式に整えようと画策したものであることが認められ、殊に、共犯者田中壽美及び同田中順の検察官に対する各供述調書によると、前記認定のとおり田中壽美らは被告人から本件犯行を打ち明けられて協力方を求められ、当初その犯行目的の詳細が明らかにされないままこれに加わることになつたものの、犯行計画実施の直前になつて被告人から本件犯行が武田を略取して同銀行からそのみのしろ金を獲得する目的で計画されたものであることを知らされ、事の重大さを知つたが、もはや計画実行に移つていて共同実行から抜け出ることができずに本件犯行に及んだものであつて、右事実によると、被告人は当初から武田を略取したうえ同銀行の幹部らに対し武田の身柄の釈放の代償として現金三億円の交付を要求しようとしていたことが認められ、被告人が当公判廷において武田に融資を求めたに過ぎない旨述べるところも単に現金交付の名目を融資といつたものに過ぎず(被告人は検察官に対する供述調書中で同旨の供述をしている。)、また、現金受取りが困難になつたことを知つた被告人が自己の刑責を免れるための工作と認められ、被告人の弁護人の主張に沿う当公判廷における供述は到底これを信用することができない。よつて、弁護人の右主張は採用しない。
次に、弁護人は、前記佐賀相互銀行の社長武田誠之及び同銀行の幹部らは共に同銀行の役員であつて事実上の保護関係にあるものではないから、同銀行の幹部である同銀行専務取締役志賀志朗らは刑法二二五条の二の「近親其他被拐取者の安否を憂慮する者」に該当しない旨主張するので検討する。
刑法二二五条の二第一項に規定するいわゆるみのしろ金目的の誘拐罪は、近親その他被拐取者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じてその財物を交付させる目的で人を略取または誘拐したときに成立する罪であるところ、その規定の趣旨は、右罪が被拐取者の生命、身体に対する極めて危険な犯罪であり、近親等被拐取者と密接な関係のある者に対し被拐取者の生命、身体に対する危険を感知させ、その憂慮、心痛を利用して財物を交付させようとする卑劣な行為を特に重く処罰することにあり、同条二項の規定の趣旨もまた同様と考えられ、右規定の趣旨に照らすと、同条の「近親其他被拐取者の安否を憂慮する者」とは、被拐取者と近しい親族関係その他これに準ずる特殊な人的関係があるため被拐取者の生命又は身体に対する危険を親身になつて心配する立場にある者をいい、近親以外であつても、被拐取者ととくに親近な関係があり、被拐取者の生命、身体の危険をわがことのように心痛し、その無事帰還を心から希求するような立場にあればここに含まれるが、被拐取者又はその近親等の苦境に同情するにすぎない第三者は含まれないと解される。これを本件についてみるに、前掲関係各証拠、殊に同銀行の専務取締役である志賀志朗の検察官に対する供述調書によると、同銀行は昭和二四年九月一三日資本金二〇〇〇万円で旧無尽会社として設立された人的色彩の濃い銀行で、前記武田及び志賀はいずれも昭和二六年四、五月頃相前後して入社し、志賀を含めた同銀行の役員の殆んどは前記武田と同じく同銀行のいわゆる生え抜きの役員であること、本件犯行当時志賀も同銀行の代表権を有していたものの、重要事項については右武田の決裁を仰いでこれを処理し、代表権を有する専務であつても単独の判断で事務処理をすることは、右武田が事務処理に支障のある場合に限定され、実質上志賀は、右武田の補佐役というべき地位にあつたこと、かように武田と志賀は長年に亘り同銀行の発展に尽して来たものであつて、両名の間には同銀行の業務遂行を通じて礎かれた深い人間関係が認められ、また、両名は仕事上のみでなく、私的な面においても極めて親しい間柄にあつたこと、右武田は、同銀行の最高責任者として名実ともに同銀行の実権を握つており、同人が社長に就任した昭和五五年から同銀行の業績が向上したことからみても、同銀行にとり是非とも必要なかけがえのない人物であつたこと、そのため、志賀は本件において右武田が何者かに略取され、同人の生命あるいは身体に危険が及んでいることを知るやその無事帰還のため直ちに同銀行の役員らと協議したうえ、犯人の要求に従い右武田のみのしろ金として巨額の現金三億円を犯人に交付することを決意し、同銀行の現金は勿論、急遽その他の金融機関からも現金を取り寄せてこれを準備したこと、志賀を除く同銀行の役員ら幹部も、右武田の生命及び身体の安全を第一に考え、そのためには、現金三億円を犯人に交付することもやむなしと考え志賀ともども右武田の安否を親身になつて心配していたこと、以上の事実が認められる。右事実によると、同銀行幹部、殊に志賀は、被拐取者である右武田ととくに親近な関係にあり、右武田の不幸をわがことのように心痛し、その無事帰還を心から希求する立場にあつたもの、即ち、本条の「被拐取者の安否を憂慮する者」に該当するものと認められ、また、前記被告人が本件犯行を決意するに至つた経緯として認定した事実、殊に被告人が小野弁護士事務所の事務長として前記同弁護士の預金返還交渉に関与し、同銀行幹部とも面識があつたことなどからみれば被告人は、その細かい点についてはともかくとしても、右武田と同銀行幹部、殊に志賀との右のような人的関係について十分に認識していたものと考えられ、現に、被告人自身もその検察官に対する供述調書中で社長を人質にとれば、同銀行の人は社長の身の安全を心配して三億円ぐらいは出すだろうと考えていた旨供述しているところをみても被告人は右武田と同銀行幹部、殊に志賀との親近な関係を認識していたと認めることができる。よつて、弁護人の前記主張も採用しない。
(法令の適用)
被告人の判示第一の一の所為のうち、みのしろ金目的拐取の点は刑法六〇条、二二五条の二第一項に、拐取者みのしろ金要求の点は同法六〇条、二二五条の二第二項に、判示第一の二の所為のうち、前記武田に対する逮捕監禁致傷の点は包括して同法六〇条、二二一条(二二〇条一項)に、前記田尻に対する逮捕監禁の点は包括して同法六〇条、二二〇条一項に、判示第二の一の所為は包括して銃砲刀剣類所持等取締法三一条の二第一号、三条一項に、判示第二の二の所為は火薬類取締法五九条二号、二一条に、判示第三の一の所為は包括して刑法六〇条、銃砲刀剣類所持等取締法三一条の二第一号、三条一項に、判示第三の二の所為は刑法六〇条、火薬類取締法五九条二号、二一条にそれぞれ該当するが、右みのしろ金目的拐取と拐取者みのしろ金要求との間には手段結果の関係があるので、刑法五四条一項後段、一〇条により一罪として犯情の重い拐取者みのしろ金要求の罪の刑で処断することとし所定刑中有期懲役刑を選択し、右武田に対する逮捕監禁致傷と田尻に対する逮捕監禁は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い武田に対する逮捕監禁致傷の罪の刑で処断することとするが、同法一〇条により同法二二〇条一項所定の刑と同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号所定の刑とを比較して結局重い傷害罪所定の懲役刑(但し、短期は逮捕監禁罪の刑のそれによる。)に従つて処断することとし、判示第二、第三の各一、二の各所為は一個の行為で四個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により刑及び犯情の最も重い判示第三の一の罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一〇年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち一八〇日を右の刑に算入することとし、押収してある改造けん銃(コルト)一丁(昭和六〇年押第三五号の19)、けん銃(二銃身、デリンジャー型)一丁(同押号の2)、パイプ銃二丁(同押号の20ないし30の部品のうち、20.23.25.26.27.29を組み立てたもの一丁と21.22.24.26.28.30を組み立てたもの一丁)、実包二発(同押号の3)、猟銃用実包(赤色円筒)七発(同押号の31)、同(緑色円筒)一発(同押号の32)、弾(猟銃実包)二発(同押号の34)は、いずれも判示第二、第三の各一、二の犯罪行為を組成した物で犯人以外の者に属しないから、同法一九条一項一号、二項本文を適用し、同じく押収してある金属製手錠二組(同押号の4)は、判示第一の二の犯行の用に供した物で犯人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用していずれも没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。
(量刑の事情)
本件は、判示冒頭に認定したとおり福岡県弁護士会所属の小野権友弁護士事務所の事務長をしていた被告人が同弁護士の担当する佐賀相互銀行に対する預金返還請求の件に関与し、右翼団体日本皇民党員を伴い同銀行本店で同銀行の幹部と交渉したことを発端として同党員の乗つたいわゆる街宣車が帰途暴力団宮地組々員らによつてけん銃で狙撃され、さらに同日小野弁護士が同組員らによつてら致されるなど険悪な事件が続発したため、以後小野弁護士事務所を退職し、宮地組々員らの報復をおそれて逃亡生活を続けるうち、金融業の資金や生活費に窮し、かかる窮状に追込んだ宮地組や同銀行に恨みを抱き、このうえは、同銀行代表取締役社長である武田誠之を人質にとって同銀行にそのみのしろ金三億円を要求しようと決意するに至り、改造けん銃、パイプ銃等の銃器のほか自動車(レンタカー)、手錠、目隠し用の布袋などを準備し、周到な計画のもとに、判示のとおり共犯者らとともに武田を略取したうえ、そのみのしろ金三億円を同銀行幹部らに要求した事案であって、その犯行態様は大胆且つ兇悪という外なく、殊に被告人はたまたま共犯者の一人が計画から抜けたため、その埋合せに田中壽美やその未成年の子である田中順をも共犯にまき込んで犯行に及んだこと、老令の武田及び同人の運転手田尻正治は被告人ら数人の男女に銃をつきつけられ、頭から目隠し用の布袋をかぶせられ、後手に両手錠をかけられ、自動車ごと乗つ取られて連れ去られ、ホテル「松園」などに監禁されたうえ師走の寒空の下を熊本県鹿本郡鹿北町の山中に連れ込まれたばかりか殺害までもほのめかされてともども一時は死を覚悟するまでの恐怖に戦かされ、翌日午後七時四四分ころ福岡市天神パインクレストにおいて警察官によつて救出されるまでの約三七時間にも及ぶ長時間身体を拘束されたこと、本件犯行により直接被害を受けた武田及び田尻の心身の苦痛はもとよりその家族および同銀行幹部らの憂慮、心痛には筆舌に尽し難いものがあること、本件により同銀行の社会的信用が失墜し、武田はその責任をとつて同銀行代表取締役社長の職を辞職したこと、また本件は銀行の最高責任者を人質に取つて、そのみのしろ金を要求するなどこれまで全く予想もされなかつた重大事案であつて金融業界は勿論社会に与えた衝撃にはまことに大きいものがあること、しかも、この種事犯は、しばしば被拐取者の殺害という悲惨な結果を招くことも多く、また模倣性、伝播性を有するものであることなどに徴すると被告人の刑責には極めて重大なものがあるというべきであり、被害者武田の監禁による傷害の程度も軽微であること、被害者武田及び田尻の両名は無事救出されて自宅に戻つたこと、佐賀相互銀行は現金三億円をみのしろ金として用意したもののこれを被告人に交付しなかつたこと、その他被告人は業務上過失傷害および道路交通法違反の各罪により二回罰金刑に処せられたことがある以外に前科がなく、これまで一応大過のない生活を送つてきたことなど被告人に有利な情状を考慮しても、被告人を主文のとおりの刑に処するのはやむをえないものと思科した次第である。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官早舩嘉一 裁判官吉武克洋 裁判官野尻純夫)